私は30歳前にごく一時期教会に通っていましたが、雰囲気がなじめなかったので行かなくなりました。
今の、というか戦後の日本のキリスト教会は、世界の中でちょっと浮いていて、特殊な道を進んでいる感じがします。
早い話、戦争は悪だ、とか、天皇なんて敬う必要はない、とか、ましてや軍装趣味なんてけしからん、とか言いそうな雰囲気の人たちばかりのように見えてしまったので、教会に行かなくなったのです。
だったら戦前の日本のキリスト教会や、現代の英米はじめ世界各国の教会はキリスト教じゃないのでしょうか?というのが疑問なのです。
ウチの教会は日本キリスト教団のメソジスト系ですが、ひいおじいさんの伯父であり養育者(実父早死のため。)であった菊池九郎が明治初期の若いとき、盟友の本多庸一、外人教師ジョン・イングと組んで弘前教会を設立したのがメソジスト系の教会でしたので、その縁です。
菊池九郎
本多庸一先生
ジョン・イング先生
弘前教会設立時の22人の主要メンバーにいたのが、珍田捨巳や佐藤愛麿という人です。
珍田捨巳先生
佐藤愛麿先生
私はこれらの流れの中にありますので、キリスト教も軍事趣味も天皇敬慕も、べつに相反しないと思っています。
珍田先生や佐藤先生の顔に泥を塗るような主張は、私にはできないのです。
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。
実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。
権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。
だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従うべきです。
あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。
すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。
ローマの信徒への手紙 13章 1-7節 (新共同訳)
私のコレクション、1900年ごろのポストカードです。